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江上波夫氏と三笠宮崇仁殿下~古代イスラエルと渡来した原始基督教徒?

百瀬直也

東方基督教の一派で、中国で『景教』と呼ばれた宗教がある。
景教についての資料をインターネット上で検索していて、面白い本があることを知った。
『モンゴル帝国とキリスト教』(江上波夫著、サンパウロ)だ。
その題名だけでは、恐らく、それほどまでに興味をもたなかっただろう。
だが、その著者の名前が「江上波夫」とあるのに目が止まった。
いうまでもなく、『騎馬民族征服王朝説』を唱えた歴史学者だ。
日本古代の大和王朝は、夫余や高句麗と関係ある北東アジア系の騎馬民族が朝鮮半島を経由して日本に渡来して国家を建設したという説だ。
この説は発表当時は大きな批判を浴びたが、現在でも学界で定着したとはいえない。
だが、たんなる奇説として棚上げされることなく、また一部の人々から熱烈な支持を得ていることもたしかだ。

江上氏は2002年11月11日、惜しくもこの世を去られたが、その経歴は堂々たるものだ。
以下に、江上波夫氏の略歴を示す。

1906(明治39)年11月6日、山口県下関生れ。
1930(昭和5)年、東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。
1948(昭和23)年、東京大学東洋文化研究所教授。
1948(昭和23)年5月、学会誌向けの討論会で騎馬民族日本征服説を発表。
1957(昭和32)年、日本オリエント学会会長。
1962(昭和37)年、東京大学東洋文化研究所長。
1967(昭和42)年、東京大学名誉教授。
1978(昭和53)年、古代オリエント博物館館長(1978年10月まで)。
1983(昭和58)年、文化功労者受章。
1991(平成3)年、文化勲章受章。

上記に出てくる日本オリエント学会は、オリエント史学者である三笠宮崇仁親王が提唱され、初代会長を努められた。
三笠宮殿下が書かれた『古代オリエントと私』には、この学会の設立のいきさつが書かれている。
これを見ると、三笠宮殿下が日本オリエント学会の設立を発案され、1954年4月10日に、その第1回の準備会の会合があった時に、江上氏が呼ばれている。
江上氏が騎馬民族征服王朝説を発表して一台旋風を巻き起こしてから6年たった頃であり、三笠宮殿下も、江上氏がそのような説を出していることを百もご承知だったろう。
天照大神の後裔として天孫降臨した万世一系のはずの天皇家にとって、騎馬民族日本征服説などは非常に好ましからざる代物であるはずだ。
それなのに、なぜ江上氏は、その後に当学会の会長にまでなっているのだろうか、という疑問が湧く。
また江上氏は、古代オリエント博物館の設立を発案され、1978年に初代館長になっている。
そこでは、三笠宮殿下が現在その博物館の評議員に名を連ねている。
このように、三笠宮殿下と江上氏は、非常に近い関係にあったようだ。

江上氏は、その後に文化功労者と文化勲章を受賞されている。
しかも、毎年正月に皇居で行われる『講書始の儀』で、昭和天皇の前で騎馬民族日本征服説の概要を解説されたらしい。
この正月好例の儀式は、人文科学・社会科学・自然科学の各分野の権威者3名が選ばれ、天皇皇后がご説明をお聴きになるというものだ。
毎年説明される学者の選定は宮内庁が行っているものだろうが、そこになぜ江上氏が選ばれたのだろうか。
学会の定説になっておらず、しかも天皇家にとってはなはだ都合が悪い説を唱える学者なのに、だ。
だが、文化勲章までも受賞しているとなると、それは皇室が騎馬民族征服王朝説の主張するところをある程度「認めている」ということではないのだろうか。
以上はうがった推測かもしれないが、もっとほかに適切な説明が付けられるものだろうか。

ここで、冒頭にあげた『モンゴル帝国とキリスト教』に話を戻す。
この本では、元代のオングド族とネストリウス派キリスト教(景教)との関係について論じている。
13~14世紀のモンゴル帝国の時代に蒙古高原に住んでいたこの小部族が、東洋と西洋を結び付ける歴史的役割を担っていたという考察を、オングト族の都の跡であるオロン・スム遺跡の考古学的調査によって立証しようとする試みだ。

景教といえば、景教徒が古代の日本に渡来していたという説がある。
その景教徒とは、渡来系氏族である秦氏のことだ。
この説を日本で最初に唱えたのは、1871(明治4)年に広島に生まれた佐伯好郎という人物だ。
佐伯氏は中国景教(ネストリウス派キリスト教)の研究により、東大より文学博士号を授与された。
そして景教研究者の世界的権威となり、学術論文「太秦を論ず」では「秦氏=景教徒説」を展開したが、学会で受け入れられることはなかった。
だが、日本人とユダヤ人が同じルーツをもつと主張する日猶同祖論者の間では、現在でも根強い支持を得ている。
個人的には、秦氏がユダヤ人か、またはそれ以外の民族かという問題は残るが、少なくとも秦氏がユダヤ=キリスト教的祭祀形態やユダヤ的風習を日本にもたらしたということは、かなり高い可能性があると考えている。
また、その信仰する宗教がユダヤ教か、景教か、原始キリスト教かということについては、現時点では結論は出せないが、少なくとも景教については秦氏の渡来年代を考慮した場合に年代が合わないという問題があるので、その可能性は低いのではないか。

景教渡来説を現在もっとも精力的に展開している一人に、ケン・ジョセフ氏(ジュニア、シニア)の父子がいる。
ジョセフ氏(シニア)は、20世紀初頭にトルコとクルドのイスラム教徒たちが18万人の景教徒たちを虐殺した時に、米国に渡った景教徒の難民だった。
第二次大戦の終戦時に、日本の復興を助けるためのボランティアをマッカーサー元帥が米国で募ったときに、ジョセフ氏はその呼びかけに答えて来日した。
その親子の著書である『【隠された】十字架の国・日本』では、膨大なデータを示して、景教徒たちが古代日本に渡来したことを示している。
この本に書かれた主張のすべてを受け入れられるわけではないが、全体としては非常に説得力があり、またジョセフ親子の人類愛が読む者に伝わってきて、感動を呼ぶ本だ。

この本で書かれていることによると、実は、前述の江上波夫氏は、この佐伯好郎史の弟子だったという。
そうすると、江上氏は景教徒渡来説を、師である佐伯氏から当然よく聞かされていたことだろう。
そういう人が景教についての研究を行うのだから、師と同様に、景教徒が日本を訪れていたという説をもっていたとしてもおかしくはない。
それを裏付ける事実が、上記のジョセフ親子の本に書かれている。

ジョセフ氏(ジュニア)は、ある時、基督教が1600年~1800年前に既に日本に入っていたという説を原稿に書いたが、出版社の編集長から、それは歴史的根拠がないから受け入れられないと言われた。
自分の主張に自信があったジョセフ氏が食い下がったところ、編集長が言うには「では私が東大で学んだ江上先生に聞いてみましょう」ということになった。
そして編集長が江上波夫氏に電話して聞いてみると、このように言われたそうだ。

 「ケンの考えは、私の考えとは若干の違いがありますけれど、否定はできません。また、もう一つケンに伝えてください。二世紀に日本に入ってきた基督教は景教じゃなくて、原始基督教が直接入って来たものです」
(ケン・ジョセフSr.+Jr.著、『【隠された】十字架の国・日本』より)

つまり、江上氏は秦氏=基督教徒説を認めていたようだ。

このような江上氏の景教徒渡来説は、近い関係にあった三笠宮殿下にも話されていたかもしれない。
それを聞いていたとしたら、三笠宮殿下はどう思われただろうか。
その三笠宮殿下とユダヤの関係について、興味深いエピソードがある。
天皇家の宝である三種の神器の一つに、八咫鏡(ヤタノカガミ)がある。
この鏡の裏には、ヘブライ語の聖書の一文が書かれており、それを見た者が過去に何名かいたという噂がある。
見たという一人は、明治時代に文部大臣にもなった森有礼(ありのり)氏だった。
森氏は、伊勢神宮にしまわれ、何人も見ることのできない八咫鏡を、特別に頼み込んで見せてもらうことに成功した。
その鏡の裏面には、ヘブライ語で「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」と書かれていたという。
これはヘブライ語で「我は有りて在る者」を意味する神の聖なる御名だ。

ところで、戦後の昭和27年に、日本とユダヤの関係を研究し親善を目指す目的で、日猶懇話会という団体が結成された。
昭和28年に開かれたその会の例会は、ミハイル・コーガンそいうユダヤ人の邸宅で開かれた。
その席には、三笠宮親王も臨席していた。
そして、上記の八咫鏡の話が話題に出た。
三笠宮殿下はその話に関心をもたれ、真相を調査してみようと語ったという。
この逸話は、その例会に同席していた東京イブニングニュースの支局長が「神鏡のヘブル出所説を三笠宮氏が調査!」と題して記事にしたために、大変な話題になった。
だが、そのことを三笠宮殿下が実際に調査されたかどうか、またその結果などについては公表されていない。

上記の逸話は、ユダヤ教のラビ(教師)であるユダヤ系米国人、マーヴィン・トケイヤー氏が、その著書『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎』などで書いていることだ。
トケイヤー氏は、イスラエルの失われた10部族が古代の日本に訪れていた可能性を長年にわたって調査しているユダヤ人の一人だ。
そして三笠宮殿下と個人的に親しくされており、この八咫鏡の話についても、三笠宮殿下に直接質問してみたことがあったという。
だが、三種の神器は、伊勢神宮の非常に厚い秘密の壁に取り囲まれていて、三笠宮殿下の兄である天皇陛下(昭和天皇)も三笠宮殿下も含めて、誰もそれを見ることは許されていないという答えだった。
上記の会話の内容は、トケイヤー氏の『ユダヤと日本 謎の古代史』で詳細に書かれているが、三種の神器について皇室内で話題にすること自体もタブーとされていて、ヘブライ語が書かれているという噂の真偽を調べることなど、とても無理というのが実状のようだ。
だが、上記の話で言えることは、少なくとも三笠宮殿下は、この奇怪な噂について真剣に調べる姿勢を見せていたということだろう。
「そんなことは決してあるはずはない」と、オリエント史学者として一笑に付すこともできたはずだ。では、なぜそうされなかったのだろうか?

そもそも三笠宮殿下は、なぜ古代オリエント史の研究をライフワークとして選ばれたのだろうか。
そのことについては、三笠宮殿下ご自身が、その著書『古代オリエントと私』で書かれている。
それによると、第二次大戦に日本軍の参謀として戦争に参加された際に、敵を知ろうとキリスト教を調べられ、聖書に書かれた内容が歴史的事実であることを知ったときに、聖書から離れられなくなったという。
そして終戦後に聖書の研究をされ、旧約聖書は翻訳では真意がつかみにくいという理由でヘブライ語を学ばれた。
前述のトケイヤー氏は三笠宮殿下と非常に親しくされているが、二人が話される時はヘブライ語を用いるという程、三笠宮殿下はヘブライ語に堪能なようだ。

トケイヤー氏の前述の著書『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎』でも、三笠宮殿下がイスラエルに関心をもたれるようになったきっかけについて書かれている。
それによると、三笠宮殿下は、ある会で、イスラエルに関する興味をご自分がどのようにして持つようになったのかについて話されたことがあるという。
その一部を下記に引用する。

 東大のある教授が、ギリシャ、ローマの文明、またキリスト教をはじめとする西洋の文明を理解する鍵は、メソポタミヤ、とくに古代イスラエルにあると教えてくれた。そこで三笠宮は中近東、とくに古代イスラエルの研究を開始した。その研究をしながら、はっきりわかったことがあったと、三笠宮は言われた。
 それはユダヤ人およびイスラエルを理解することは、単に西洋の文明を理解する鍵なのではない。オリエント、東洋についても真に理解する鍵でもあると気づいたというのである。ユダヤ人は西洋と東洋を結ぶ橋であり、歴史の謎を解明する鍵なのだと。
 こうして、歴史は三笠宮をユダヤ人へ連れていった。そしてユダヤ人は、三笠宮を自分自身の真の発見に引き戻してくれた。
 三笠宮は、もはや日本人としての自分を恥とはしなくなった。いや、自分が一人の日本人であり、また皇室の一員であることに確固とした誇りを持てるようになったという。
(ラビ・マーヴィン・トケイヤー著、久保有政・訳、『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎』より)

上記の既述で疑問が残るのは、ユダヤ人が西洋と東洋を結ぶ橋であり、歴史の謎を解明する鍵なのだということに気がついただけで、なぜ「皇室の一員であることに確固とした誇りを持てるようになった」のかという点が明確でないことだ。
もしかして、三笠宮殿下はご自分の長年の研究によって、まだ公にできないが、古代イスラエルと日本(皇室)を結びつける、ある重要な事実にたどり着いたということなのだろうか。

前述の八咫鏡の話にしてもそうだが、日猶同祖論者が話題にするような、皇室とユダヤを結びつけるような様々な噂が飛び交っている。
たとえば、明治天皇の孫が母から聞いたことによると、明治天皇は「日本の神道は本来ユダヤ教である」と言われたという話がある。
また、別の明治天皇の孫と自称する女性ジャーナリストによると、皇室では、ユダヤ教と同様の割礼の習慣があるという。
代々の天皇の皇后にはクリスチャンである女性から選ばれるとか、宮内庁には隠れクリスチャンが多いという噂もある。
はたして皇室とユダヤ・キリスト教とに本当に関係があるのだろうか。

江上氏に話を戻すが、江上氏はなぜ景教に注目したのだろうかという疑問が生じる。
もしかして、騎馬民族征服王朝説は、キリスト教を信仰する騎馬民族を前提とした説だったのだろうか。
宮内庁や皇室は、江上説に文化勲章を与えるほどに、騎馬民族説を受け入れる要因があったのだろうか。
江上氏と三笠宮殿下の関係などを考えると、謎が謎を呼ぶ話ではある。


参考文献


Copyright(C) 百瀬直也 初出:2004/07/22 第2版: 2004/08/20
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百瀬直也

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超常現象研究家、地震前兆研究家、ノンフィクションライター、ブロガー、ITコンサル。 マスコミ執筆オファー等はこちらを。 FB個人アカウントはこちら[詳細]



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